3、田舎の暮らし

1)居住環境


《自宅の付近の地図》

 私の住んでいる所は四国の東部、徳島市から吉野川を約40kmほど遡った徳島県美馬市にあります。
 『平成の大合併』で旧美馬郡内の3町1村が合わさって目出度く美馬市が誕生しました。最近『うだつの町並み』で多少知られる様になって来ました。
 主たる産業は農業という日本中何処にでも有りそうな田舎町です。人口は凡そ3万3千人で高齢者の割合が35%を超える典型的な過疎の町です。市の面積は約370㎢で8割が山林です。市の真ん中を東西に吉野川が流れ、北に阿讃山脈、南に四国山地が聳えている風光明媚な土地です。
 地域の歴史は古く縄文時代にはもう人が住んで居た様で、市内には古墳もある事から早くから開けて居たのでしょう。旧美馬町の郡里廃寺史跡等を見ると律令時代には大和朝廷の支配下にあった事が判ります。戦国時代には脇町に三好長慶の山城があり都との交流が盛んに行われていた様です。江戸時代は阿波藩の家老であった稲田氏の支配下にあり、阿波藍の生産、集積地として栄えていたそうで、今では『うだつの町並み』にその面影を見ることが出来ます。近代になって化学染料のインディゴが発明されると阿波藍の需要が衰退して行くと共に町も衰退して行きました。
 地場産業の無い悲しさか、若者は学校を出ると働き口を求めて都会に移り住み、町の高齢化、過疎化に拍車が掛かると云う状況になっています。尤も、此は我が美馬市だけの問題では有りませんで、明治維新以来の中央集権、傾斜産業政策のツケが地方に歪みとして出て来たのだと思います。


《うだつの町並み》

 しかし、『住めば都』とは良く言ったもので都会の過度の便利さや贅沢を追い求めなければ快適に不自由無く暮らす事が出来ます。
 近年、高速道路や航空機等の交通網の発達で東京、大阪にも3時間程で行ける様になり大変便利になりました。また、最近はインターネットの普及で居ながらにして仕事や買い物を済ませる事が出来る様になり田舎住まいの不便さを感じる事は少なくなりました。例えばインターネット通販で買い物をした時、丸一日も有れば注文した商品が宅配され手元に届くと云った具合です。多少のタイムラグがありますがわざわざ買い物に行く手間や労力を考えれば充分割が合うのではと思っています。
 最近、美馬市でも全戸に光ファイバー網が整備され益々便利になって来そうで私も期待しています。只、これも新しい方向での行政サービスの向上に寄与するだけで無く、新しい産業や雇用の創成の起爆剤として活用するためにはもっと知識や智恵、そして戦略が必要でしょう。


《八百万神の御殿の桜》

 次に、自然環境については、気候は瀬戸内海気候に属し温暖と云う事になっていますが、山間部に位置する為に冬は二、三回雪が積もり季節を実感する事が出来ます。
 亦夏は内陸部特有の結構蒸し暑い日が有ります。その代わり春、秋は頗る快適で特に花見の季節は近くの山上の桜の名所が山一面、桜の花に覆われる光景は見事です。秋の満開の曼珠沙華の花等、他にも季節毎に風情を感じる事が出来ます。

 住宅地の周りは静かで、空気は綺麗し、水は美味い、四季の変化は心を豊かにしてくれる等、健康的な生活を送るには頗る良い環境だと思います。野菜等の生鮮食品は地元の農家が作った新鮮で安全な物が手に入り美味しく戴く事が出来ます。生活経費も比較的安く、大都市とも3時間位で往来する事が出来て比較的近いのでUターン、iターンしてSOHOで起業や新生活を始めるには最適ではないかと思います。 また、近場には天然温泉も有り、老後をのんびりと静かに暮らすにも良い所だと思います。

 唯、田舎町に住んでいるとコンサートに行くにしても美術展に行くにしても一日掛かりになり簡単には行けませんので、音楽や美術等の芸術鑑賞には疎遠に成り勝ちで、文化的な生活を希望される場合には自助努力が求められます。
 のんびりとして静かな暮らしはともすると刺激が少なく生活も単調になり易いので、生活に張りを持たせ充実させるためにも趣味や地域のカルチャークラブ等の同好会に入ったりして人の輪を広げて社会生活を活性化させる事が必要になります。


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